見上げる空に垣根なし

風天

見上げる空に垣根なし

自由からの逃走

コロナは孤独との闘いでは?
そして全体主義への隷従だろうか?

我々に求められている
自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、人間独自と個性とに基づいた積極的な自由の完全な実現に進むのかの二者択一を。

 

恐怖に駆られ、隷従への道へではなく、積極的な自由へ

 

いかなる時も、自由からの逃走、それだけは個人として避けたいものである

 

Imagine

 Imagine there's no countries 

 COVID-19 pandemic  前夜

 グローバルな時代がパンデミックが起きたのか?それではSARS 、MARS 、EboraなどのEmerging  virusは?何が違ったのか?

 グローバルな時代、情報は共有され、世界は一つに向かうはずだった。しかし実際は

 国際協力の必要性がある中、民衆扇動家や独裁者グローバルなリーダーシップの欠如が、社会の分断、不協、格差で生じてMe first がpandemic を制圧できなかったのでは?

 中国とアメリカ、日本と韓国、EUとイギリスとの協力があれば制圧が出来たのではと考えるのは私だけではないと思う。

 我々が直面している最大の危険はウイルスではなく、人類がうちに抱えた魔物たち、すなわち、憎悪と強欲と無知ではないだろうか?

 そしてその魔物は、位置情報だけでなく体内情報の監視をも許容させた。

 imagine を聴いて思う

 我々に必要なのは、分断と監視とではなく共有と共感とが、競走ではなく協力がpandemic を制圧し、世界を一つにするのではと。

 それが真のグローバリズムではないだろうか?

 The world will be one. 

 

https://www.youtube.com/watch?v=YkgkThdzX-8&feature=share

生命の輪

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 木々が色づく季節、落ち葉の季節

 色鮮やかに染まる銀杏を見て

 葉っぱのフレディを思い出す。

 自分は何者か?、人生の意味は何か?

我々は皆、生きとし生けるものを網羅して結びつける永遠のサイクルの一部だと。

 生命の輪では、アイデンティティに疑問を感じるが、ある日、人生の山場を迎えると、アイデンティティが明らかになり、宇宙のドラマの自分の役割が明らかになり、困難や試練に見舞われるが、疑いや絶望を逃れられ、宇宙の一部になり、永遠の生命の中で、自分の魂、あるいは何かを遺す事になる。

 しかし

 永遠に個人的な物語を引き伸ばして、それは本当に意味深いものなんだろうか?また来世はサイボーグがカエルだったら?

 万が一、何かを遺しても、時代は変わり、時代遅れのアイデンティティは葬り去られても、死んでいるので、何も言えない。万が一残ったとしても、都合良く解釈を変えられ、悪用される事がほんとんでは、十字軍やカミカゼの様に。

 

 それなら、永遠に続くメリーゴーランドから、降りる方法を見つける事に努力したいものである。そして何も残せないのなら、出来れば、誰かを助け、その人がいずれ別の誰かを助け、それによって、この世界がほんの少しでも、良くなった方が?

 

 生命の輪ではなく、思いやりの輪を

 永遠に続くメリーゴーランドは大変なので、朝日に輝く、色鮮やかな銀杏の様に、この一瞬を大切にしたいと。

 忘れかけたロマンスの様に。

 

 

Homo Deus

 100年前、疫病が蔓延した際、人々は祈祷した。疫病退散、悪霊退散と。疫病は退散しただろうか?きっと、更に蔓延したのでは?そして祈祷師は民に教える。祈祷が効かない理由を、信心が足りないと。祈祷師が我々より詳しいこと、それは言い訳の仕方。

 現在、疫病の原因は2週間ほどで解明され、研究室で治療法を見つけ出す。誰も祈祷師に疫病退散は頼まないし、誰も神など信用していないのでは?

 にも関わらず、我々民は、現在の祈祷師である専門家のご意見を聞く、そして、100年前と変わらず、疫病退散できない理由を聞く、信心ではないが、ライフスタイルがおかしいと。そして、利己的でその場凌ぎの政治家主導の政策が出てくる。

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 我々が聞かなければならないのは、科学的根拠を持ち科学者の意見と、専門家ではなく、AI が導き出す示唆ではないだろうか?

 100年先ではないと思うが、新たに疫病学問蔓延した時、その時の民は、昔は、AIのいけんを聞かずに、専門家の言い訳を聞いていたと。頭おかしかったんだよと。

 我々ができる事は科学技術との調和だけ。現在の祈祷師である政治家と専門家とおさらばし、AI と調和した時、我々はきっと神、Homo Deusになるのでは?

 

立冬に感謝を込めて

 今日もコロナ濃厚接触者を含め、0歳から99歳まで、我々を信頼して、70名を超える患者さんが来院して下さった。

 勿論、肺炎の患者さんもおられ、3人の患者さんが入院になった。

 コロナが心配の中、入院を含めた患者さんを受け入れて下さった。第一線の市中病院の先生、職員の皆さんに感謝する。特に市中病院の小児科の先生方には感謝しかない。

 社会はもっと市中病院の第一線の名もなき医師に感謝が有ればと。

 また、私の診療に理解して下さる近隣の方々。何より、この時間も医院運営のため事務処理をして下さる職員に。

 社会の皆さんの協力で、医院運営をできる事を、感謝します。

 今日は立冬、寒い事が人を暖かくします。

 我々の行動で、全ての人に生きる勇気を持って頂ける様に勇気を持って行動させて頂きます。

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 勇気は伝染する。コロナ以上に伝染する。

協力

 インフルエンザワクチン接種をしながら、こう考えた。

 全ての人がワクチン接種、それが感染防御に繋がると。

 勿論、コロナウイルスワクチンも同じ事だろう。しかもそれは地球規模で。日本を含め富裕国はワクチンを独占しようとしている。っrそれでは、我々がワクチンを打てたとしても貧困国はどうなるのだろう。やはり放置などだろうか?

 ウイルスは変異する。富裕国の国民が、全員ワクチン接種をしたとしても、貧困国ではウイルスの変異が起こり、変異ウイルスがまた我々に猛威を振るう。

 日本ではコロナウイルスワクチンを無料接種の方向で進んでいるが、一人500円か1000円頂いて、そのお金を全てを貧困国のワクチン接種費用に寄付すればと思うのは私だけでないと願う。

 社会は不公平であるが、生命健康に関わる事は、自国第一ではなく、平等で人道的で地球規模で考えては貰いたいものである。

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人道主義

 

 10月26日が過ぎて、インフルエンザワクチン接種希望者が増加している。巷では、ワクチン難民という話題も。実際、風天会にも、ワクチンがない、病院ではワクチンを打って頂けないなどと来院される。我々は可能な限り接種させて頂いている。

 今年は国難コロナウイルス流行もあり、誰もが協力してインフルエンザワクチン接種が必要との認識の中、職員のみの接種の孤立主義、価格保持と利益確保のための功利主義、ワクチン接種は下々の仕事と学問至上主義。またコロナワクチンでは自国の分だけ確保して、発展途上国などのワクチン確保は無視した自国First 主義。そんな事は人間として恥ずかしくないのだろうか。

 ウイルスは変異する。先進国でだけワクチン接種をしても、発展途上国で接種できないのであれば、ウイルスは変異して、また先進国も恐怖と閉塞感に包んでしまう。インフルエンザも同じである。

 自由を重んじるglobalism と自国第一の孤立主義、そのジレンマがコロナ禍を産んだと考えるは私だけではないと思う。必要なのは信頼と協力のはず。

 個々の主義主張は私の知るところではないが、生命健康はまず、人道主義を基礎にした地球主義が必要では?

 今日は13夜、月を愛でて、人道主義と地球主義を考えては?全ての人に愛と勇気とを伝えるために。

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