正直
インフルエンザの予防接種が始まり、今年も2ヶ月半。冬支度を始める季節がやって来て、妻が生けた秋桜を見ながら秋を思う。
今年は自分に正直に生きたかと。自分に正直に生きるのは、難しもので、争いごとが起きたり、他人に嫌われる。嫌われるのではないかと、頭を過るが、も一度考え、その発言・行動は自分に正直かどうかと。
人間は他人に嘘をつけても、自分には嘘をつけないものである。立場・損得・権利・地位などと頭を巡らすと、自分の都合のいい様にばかり考え、ジレンマに襲われ、自分に嘘をつく。そしてその嘘が、自分ではなく他人の人生を歩ませてしまう。私は自分に言い聞かせている、それは自分の人生かと。仮初の平穏のため、他人の人生を歩んでいないかと。自分に正直に勇気を持って自分の人生を歩み、困難に立ち向かった生きたいものである。そして正直さゆえにもがき苦しみ生きていきたいもの出る。
正直に生きる上で必要なもの、それは無条件の信頼、他人を無条件に信頼する勇気を持って行動していきたいものである。人間は一人ではいきていけないのだから、困った時は援助し、困っているときは援助してもらい、仲間と困難に挑戦する勇気、それが正直な心ではないだろうか?
息子に自分には嘘をつくな、正直に生きろと。
正直と独りよがりの頑固さとを履き違えている様であるが、愛と勇気とを持って行動してもらいたいものである。
責任ある自由
人間は何のためにに生きているかと問われれば、やはり自由のためであろう。
医療法人と株式会社とを運営する中で、日々注意していることがある。それは自由。仕事をしていて自由を感じて貰える様に注意はしているが、残ながら十分ではない様だ。
ただ、我々の自由は責任ある自由で、無責任な自由ではない。無責任な自由は無秩序であり、無秩序は知らぬ間に増殖する。それは患者さん、利用者さんとて同じ事ではないだろうか?例えば、他者に対して朗らかであり、礼節を保っているかどうか、行動が愛、勇気と言った他者を思う事に基準に従っているかどうか、より大きな共同体の利益になるかどうか、そして何より、自分に正直かどうかではないだろうか?
自分に正直にcommon sense を意識して責任ある自由をまっとうしたいものである。決して無秩序にならない様に笑顔でね。
その行動に愛はあるが?勇気はあるが?自分に正直であるか?と自問自答しながら。
勿論、息子には自由に生きろ、他人に惑わされず、自分に正直にと。
わかっているのかどうか?無秩序な野郎である。愛と勇気を持って。
もっと相手の身になって
医師をしていて楽しい事はなんですか?と聞かれたら、なんて答えるだろう?
「ありがとうと言われる事」と、言う答えもあるが、それだけではない。もっともっと楽しい事が、たくさんある。
自己満足かもしれないが、答えがどうあれ、相手の身になって一緒に行動出来たと感じる時では?そして治療を追いかけるのではなく、治療と並んで行動出来た時ではないだろうかな?
決して、背伸びをする事なく、自分で出来る事を丁寧に行うこと。丁寧に行うとは、
相手の目で見て、耳出来る聞いて、心で感じる事、そして患者さんを含めた仲間と共感出来た時、そう全ての仲間と一体感を感じる瞬間、その一瞬のために診療しているのではないだろうか?
最初の一歩は、相手に関心を持つ事、医療だけではなく、生きるための第一歩ではないだろうかな?
明日も、もっと相手の身になって、全ての人と共感出来る時間を楽しむことにする。自己犠牲なく愛と勇気とで。
息子には、毎朝伝えている。
相手の目から見て、耳で聞いて、心で感じる事、そして他者と競走しない様にとね。わかっているかどうかはわからないですが。
挑戦と協力
訳あって、困難に立ち向かう方法を考えて見た。
勿論、突然変化する様な魔法なんてものはない。
壁にぶつかった時、壁を突破する事は大切な事なんだろうか?不可能、ほぼ無理と言われたら、別の道を選ぶ方が良いのだろうか?無駄な労力を取らない方が利口である事は事実だろう。ただ、私は思う、馬鹿でいいじゃないかと、ダメ元でやってもいいのでは。決して手を抜かず、丁寧に丁寧に。そしてしっかりした戦略を持って。
挑戦する事で、勇気が生まれる、挫折が生まれる、もしかしたら歓喜が生まれる。それは苦いかもしれないが、きっと素晴らしい経験のはず。やった後悔は、時が癒してくれるが、やらなかった後悔は、時がえぐる。
一人では出来ない事でも、協力する事で、道が開くこともある。時を大切にし、自信を持って。
それが私の生きる道。
熱心はそこそこである、真剣こそが我が道をつくる。
そう愛と勇気を忘れずに。
「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。
どうせバカなのだから。
人はそれを魔法と呼ぶのかも。
夜と霧
宿命とはなんだろう?お祭りの夜に心をよぎった。
実家に提灯をつけにだけ帰る。
優秀な先輩が田舎の診療所、父親の跡を継ぐ。
縁も縁もない、それでいて駅前ではない住宅街で診療を続ける私。
人は、一体何のために、誰のために生きているのだろう?
フランクルを思い出す。
あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない。
人生から何を与えてもらうかではなく、
人生に何を与えることができるか
私の人生とはなんだろう?
自分の宿命に、愛と勇気とを持って向き合う事が、おそらくそれが自分の宿命なのでは?
人生が私に答えを求めている。
さてどんな答えだろう。
それでも人生にイエスと言おう!
愛と勇気とを忘れずに!
To be free, yes we are.
「自由を求める人々が、僕のささやかな努力を望むかぎり闘い続ける。永遠の勝利まで。
革命か死か。」
こんな風に生きたいと思った二人
Che GuevaraとJohn Lennon
いつしか齢も重ねたが、若き希望を忘れずに、青臭く生きていきたいものである。
You may say a dreamer, but not only one.
If it were said of us that we’re almost romantics, that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then a thousand and one times we have to answer ‘yes we are’.
40で迷い
50で旅に出
60でまた恋に落ちる